子供のように楽しむ

昨日は茶道教室のお稽古の日でした。

 

前回のお稽古で教えてもらった帛紗をたたんだり、のばしたり、まるで手品をしているかのような動作を、今回はお茶のお道具を清めながらやっていくことを教わりました。

※帛紗をたたんだりしてお道具を清めることを“帛紗さばき”と言うそうです。

 

右手と左手のどの指を使って帛紗を持ち、動かすのか、いちいち細かくて覚えるのが大変なのですが、先生の動きに集中して、真似をする時間がとても楽しくて、何度忘れても繰り返しやってみることに没頭していました。

 

きっとそれは横で一緒にお稽古をしていた姉も同じで、私たち以外のお稽古をされていた仲間の方々も同じで、何度も忘れては先生に確認しながら、でもとっても楽しそうにお稽古に励んでいました。

 

子供のように時間を忘れて夢中になるってこういうことなんだなぁと、そんな子供のように何も考えないで夢中になることが私にもあるんだと嬉しく、子供になったような時間を楽しみました。

 

きっとお稽古をしている皆さまは、私も含めて40代から50代の方々で、そんな大人たちが知らないことを学ぼうと夢中になって楽しんでいる姿を見て、何をするにも遅すぎることはないんだな、やってみたいなという気持ちに素直になってよかったなと思いました。

 

昨日の掛け軸

『一花開天下春』(一花開いて天下の春)

一輪の花が開くことで天下に春を告げる。

たった一輪でも花が開くことで春が来たようにまわりを明るくする。

この一輪はどんな一輪でもそうであるように、私たち人間もそれぞれ自分のままであることで輝きを放つ。

 

…だったような。定かではありませんが、こんな素敵な言葉に触れることができるのも茶道教室の魅力です。

 

安心して楽しむ

私は今やってみたいなぁ、楽しそうだなぁと思っていることに向けて動き出そうとしているところです。

 

そのやりたいことは、実はもっと前から思っていたことで、でも、いやそんなのムリムリ、私にはハードル高すぎるでしょと、度々頭に浮かんでくる私のやってみたいを打ち消していました。

 

今回は春の軽やかな空気がお手伝いしてくれたのか、打ち消すことなく、ちょっとやってみようかな、完璧じゃなくても私ができる精一杯でやってみようと思い、わくわくしているところです。

 

でもやっぱり一人では心細い。

そのやりたいことは、大切な人と関わることであり、また、私が苦手なパソコンや機械の操作が必要で、何から手をつけていいのやら(汗)。

 

そこで双子の姉に一緒にやってくれないかと相談したところ、快くオッケーをもらい、姉も私同様、パソコン関係は苦手なのですが、姉と一緒ならなんとかなる!という心強さがあり、やりたい意欲がさらに高まってきているように感じます。

 

双子の姉は小さい頃から一緒に過ごし、歳を重ねた今でも、チネイザン、お茶、書道など、やりたいことや趣味など一緒にたのしんでいます。

 

一人でも楽しいのですが、姉が一緒にやることでその楽しさが私の中心に落ち着く、という土台のようなものができていると感じます。

 

なのでとても楽しみです♪

 

私のふわふわした楽しみと、姉のドシッとした落ち着きと一緒に、やりたいことを進めていきます!

 

自分開拓中です

今年度に入り、子供たちの学校、幼稚園の行事などでお母さんたちと関わることが以前より多くなりました。

 

人前に出ることで自分らしくいられるか不安で、できるだけ関わらないでいたいと思っていましたが、ふと今の自分で、どんな時も自分らしくありたいと、少しずつ親が関わる行事に参加しています。

 

以前は、積極的に人と関わることが上手ではない私は、大勢の人がいると自分が小さくなるのを感じ、他の人からどう見られているかばかり気にしていました。

 

今はそんな自分を認め、それが自分だと知っているので、人と同じようにできなくてもいいんだよ、無理をしないでね、がんばらなくていいよ、と自分に言い聞かせながらですが、そのままの自分でいられてるような気がします。

 

全く人目が気にならないということはありませんが、以前より人と関わることに抵抗が少なくなっているのかなぁと嬉しいです。

 

今年の目標の一つに掲げた、「人との繋がり、社会や世界との繋がりを楽しむ」を少しずつ、少しずつ、私のペースで開拓していきます。

 

 

心を開く

昨日の日記にも書きましたが、自分の目を向けるところを変えることで、ここ数日のモヤモヤから解放されつつあります。

 

最近は旦那さんと目を合わせて喋ることも避けていたのですが、昨日は抵抗なく、少し新鮮な気持ちでお話しすることができました。

 

目を合わせてお話しするということで、私の口調が変わり、お互いの会話のリズムが変わり、すごいなぁ、心を開いてよかったなぁと改めて思いました。

 

そして、昨日はふとした会話の流れで、自分が嫌だと思っていることを伝え、できればこうしてほしいという気持ちまで伝えていました。

 

言おうと決めていたわけではないのに自然に口から出てきて、嫌だという気持ちを言うことができて、心が軽くなったような気がします。

 

いつもなら相手がどんな反応するだろうとか考えて、結局言えなかったり、伝えても重い空気になったりですが、自然に伝えていたのでそんなこともなく、すっきりです。

 

心を開こうと努めたことが、こんな流れになったのかは分かりませんが、やっぱり心を開こうと、これ以上閉じないようにと意識を変えてよかったなと思います。

 

これからも自分が今どんな状態かに敏感になり、もし落ちているなと気付いたら、それ以上落ちないように心を開くことを意識していくことを続けていきます。

 

意識を変える

最近ちょっとしたことにイライラしたり、いやだなぁと感じたり、モヤモヤすることが多く、きもちが閉じているのを感じています。

 

特に現状に変わりはないのに、一つの嫌なことをきっかけに、そこから抜け出せなくなって、全部がその嫌なことに染められているようです。

 

そんな自分に気付いて、これ以上心が閉じないようにしようと、今できていることに意識を向け、今日も身体をベッドから起こすことができたことや、屋根のある守られた部屋で過ごすことができていることに幸せを感じていると、

 

ちょうど一月前に種を植えたサボテンが小さな小さな赤い芽を出していることに気付きました。

 

きっとこの数日の間に芽が出たような大きさだけど、毎日サボテンに目を向けていたのに私は気付いていませんでした。

 

心が閉じていると、こんな嬉しい幸せも見落としてしまうのだということが分かりました。

 

きっと同じように見落としていることがたくさんあるのだろうと思います。

 

これ以上心が閉じないようにしようと意識を変えた自分に「よくがんばったね」と声をかけると同時に、今目の前にあるたくさんの幸せの数々に意識を向けていくことを続けていきます。

 

 

 

一つ一つ丁寧に

昨日の夜ご飯の時に、ご飯を右側に置いていた娘に左側に置くように伝えると、「学校ではこうやってるもん」と言って聞こうとしませんでした。

 

そんなはずはない、小さい頃からご飯は左、お味噌汁は右、と言われて育った私は、聞こうとしない娘に苛立ちながら、どっちが正しいかネットで調べました。

 

正解が分かり、娘にいじわるく自分の正解を伝え…自分の正しさを証明したかった自分に気付き、正解は分かったけど、こんな気持ちで正解を伝えたくないなと思いました。

 

「どっちでもいいね、ごめんね。」

「ただ大きくなった時にマナーが身に付いてないと、どんな家で育ったんだろう、ってまわりに言われちゃうから…」とこぼすと、娘は「そんなの気にしないもん」と言って、さっきまで強ばっていた顔が緩んでいました。

 

このやり取りで、私の正しさを主張することや、人目を気にしていること、自分の状況をまわりの環境のせいにしていること、など色んなものが炙り出されました。

 

まだモヤモヤとして心の整理はできていませんが、一つ一つ丁寧に向き合っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

葉っぱたちのように

公園で空や木々の動きを眺めるようになって、緑色ってこんなだったかな、とか、この色を言葉にするには何て表現したらいいのかな、など、一つの色にも無限の幅があり、自分が知らない色がたくさんあることに気付くようになりました。

 

今日も強風の中、木々の枝で揺れる葉っぱの一枚一枚が、似ているようだけど、どれも違う表情をしていて、風の強さや太陽の光を受けてキラキラと輝きを増したり変化する姿を眺めていました。

 

楽しそうだなぁ、素敵だなぁ、

私もこんなふうにありたいなぁ、と思いました。

 

今、私は旦那さんとの違いにモヤモヤとして心が閉じそうになっているところです。

 

同じ家の中で暮らしていてもこんなにも違うのかと…

 

葉っぱたちのように一枚一枚はそれぞれ違うけれど、一緒にまとまって風に揺らされることを楽しんだり、喜んだりできたらなぁとしばらく眺めていたら、

 

自分が自分のままで在ることをゆるして、それを相手にもしてあげるだけですよ~、と葉っぱたちが伝えてくれたような気がしました。

 

何度でも伝えていきます。

心配だよね。

でも大丈夫だよ、私のままで。

そのままで自分であることを楽しんで♪